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歴史館入口
■木曽八景■

第一回 徳音寺の晩鐘

第二回 御嶽の暮雪

第三回 掛橋の朝霞

第四回 寝覚めの夜雨

第五回 風越の晴嵐

第六回 駒ケ岳の夕照

第七回 小野の瀑布

第八回 横川の秋月


■寄り道メモ■

「八景」のキーワード

芹沢鴨焚火騒動

「浪士」とは
 どんな人たちだったのか


新旧暦と季節感

・江戸時代の時法
 1「七ツ立ち」の七ツとは何時なのか

 2「うしみつどき」とは
  何時なのか


旅の装束(武士)
文久三年(1863)二月八日、江戸小石川の伝通院を出立した二百数十名の「浪士隊」の中には、近藤勇、土方歳三をはじめとする試衛館道場の若者たちがいた。将軍家茂の上洛の警備という名目で集められた彼等は中山道を一路京都をめざした。

例によって「ロマンチ※」土方歳三は、「木曽掛橋」をはじめ「木曽八景」といわれる中山道の名所を冠した短歌を作っている。それらの歌は洒落た色紙に記されて今日も残っているが、まるで女性が書いたような細くて流れるような筆跡に驚かされる。

歳三はこれらの歌を浪士隊として中山道を旅しながら詠んだのかもしれないが、そうではないかもしれないと想像することもできる。
何故なら、これら木曽八景の歌は、発句集に比べてあまり「歳三個人の見解」が伝わってこない歌ばかりであること、上洛時(旧暦二月)とはあまりにも異なる季節の歌もあることなどから、旅先で見聞したものを詠んだ歌というよりも、「木曽八景」という「お題」で少しお洒落に詠んでみました、といったものだったかもしれないからである。

実際、上洛の旅が始まって早々に、近藤勇の失策が原因で「芹沢鴨焚火騒動」のようなトラブルも発生しているように、浪士隊の移動は、のんびりと物見遊山的な旅情に浸っている場合ではなかった。
むしろ荒々しい烏合の衆の同行者たちとは、一触即発いつ刃傷沙汰になってもおかしくないような、連日ピリピリした緊張状態にあったはずだ。

そんな中、キラキラの色紙に水茎の跡も麗しく和歌などしたためる余裕は、普通の人間ならおそらくないのではと想像する。
尤も、普通の人間ではない歳三としては、そんな緊迫した道中だったからこそ、敢えて歌など詠んで平静を装い気を紛らわせていたり、女文字など書いて「自分はこんなに風流な優しげな男です」とまわりにアピールし、内なる野心を覆い隠していた、などという設定も「有り」なのかもしれないが(笑)

ところで、「木曽八景」とは、歳三たちの上洛より100年ほどの昔に、「近江八景」になぞらえて作られたもので、それぞれにちなんだ和歌も詠まれている。

歳三は、義兄の佐藤彦五郎の影響を受けて、俳諧と並んで和歌の素養もかなり身につけていただろうから、おそらく中山道を通っての上洛ということで、あらかじめ木曽八景の古歌を知っていたか調べたかして、それらを踏まえたかのような歌を作ったのかもしれない。
そして「まるで草稿状態」で残してきてしまった豊玉発句集の体裁より「格好良い」ものにするべく、一首ずつ美しい色紙に清書したのだろう。

コーナーでは歳三の詠んだ歌を観光案内に、木曽八景の名所めぐりをしていくことになると思う.。

※ロマンチ
三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ「新選組!」の続編として放送された「新選組!!土方歳三最期の一日」で用いられた言葉。
片岡愛之助演じる榎本武揚が発した「ロマンチスト」という言葉を、山本耕史演じる土方歳三が無理矢理省略して引用したもの。