「木曽八景 第三回 掛橋朝霞」 
■「木曽の桟(かけはし)」は、中山道の難所のひとつとして有名であった。桟(かけはし)を掛橋と書く場合もあるようだが、桟は川を渡るための「橋」とは異なるものだ。
「桟道(さんどう)」という言葉もあるように、切り立った山肌に棚のように張り出して造った道のことである。
現代でいうなら、ビルの工事現場の足場みたいな感じだろうか。足がすくんでしまうような場所であることは確かだ。かの松尾芭蕉もこんな句を残している。


 桟(かけはし)や いのちをからむ 蔦かづら


芭蕉の句が詠まれた当時の桟は、岩場の間に丸太や板を結わえてあっただけのものだったので、桟を結ぶ「蔦」はまさに「命の綱」であっただろう。その蔦かづらにすがりつくようにして、断崖絶壁を越えて行った旅人たちの苦労が偲ばれる。


木曽の桟は、1647年に旅人の松明(たいまつ)の火で焼け落ちてしまい、その後木橋をかけた石積みに造り変えられたという。
歳三ら浪士隊が越えて行ったのは新しくなったもののほうだから、おそらく蔦にすがりつくような難儀はなかったことだろう。


木曽の桟は、朝の霞の中に見える風景が良いとされているらしいので、たぶん歳三も「それっぽく」詠んでみたのかもしれない。朝の淡い光を浴びた霞の中に浮かび上がる岩肌や木々の緑のイメージはとても幻想的である。


今では当時の石積みは国道に覆われてしまったが、対岸に渡ればその姿を見ることが出来る。


(2006 4/18)
たちわたる あしたのくもも色淡きかすみにこむる木曽のかけはし
掛橋朝霞
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