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■「浪士」とはどんな人たちだったのか


「浪士」「浪人」とは一般的には「主君に仕えていない武士」のことをいう。


「忠臣蔵」で有名な「赤穂浪士」は、仕えていた主家が断絶の憂き目にあったため、「失職」してしまった武士である。幕府の政策で大名家が「おとり潰し」になることもしばしばで、そのたびに多数の「失業者」たる「浪人」が生じた。


「浪人」は町奉行の取り締まり対象であったように、町民と同列の身分扱いだったが、苗字帯刀は赦されており、社会的には「お武家様」ということで通っていた。浪人の中には芸術的才能や剣術に優れていたりして有名になった者もいたが、多くの暮らしぶりは楽ではなかった。


幕末になると、坂本龍馬をはじめ自ら「脱藩」して浪人になり、自由な立場になって政治的活動を行う者たちが増えていった。
また、かつては武士であったが城下に居住せず、農業を営み続けていた「郷士」とよばれる人々や、郷士の影響を受けて武芸をたしなみ、ある程度腕に覚えのある町民や農民の中からも「浪士」を名乗り「大小(刀)」を帯びて歩く者も現れた。


「文久三年の浪士隊」には、あらゆる種類の「浪士」が含まれていた。
新選組の史録を記した文書にも、そのいでたちの「てんでんばらばらさ」が記述されている。
割り羽織に野袴といった普通の旅装束の者に混じって、半天に股引姿の「ヤクザ者」がいたり、鎖の着込みを身につけ武装した者や、獣の皮やでっかいひょうたんを背負ったものまでいたらしい。


そんな者たちが束になって街道を行く姿は、まるで仮装行列のようだったのではなかろうか…

    

浪士隊の「いでたち」
想像図(笑)

  
 


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