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■新旧暦と季節感


歴史上の出来事を想像する上で、季節感は切り離せない。
さまざまな風俗や文化は季節の影響を強く受けており、人間の生産活動や軍事行動なども、季節による自然現象や気象条件に大きく左右されていたからである。そんな季節感を知るために「暦」は不可欠である。


さて、古文の授業でも習ったように、昔と今では違う暦が使われていた。
江戸時代末期の歳三たちの時代も、当然使われていたのは「旧暦(太陽太陰暦)」だった。


旧暦では1〜3月が春、4〜6月が夏、7〜9月が秋、10〜12月が冬とされており、新暦(太陽暦)を用いている現在の我々の持つ月と季節のイメージとは大分違う。
それは同じ日付であっても、旧暦と新暦では1ヶ月以上の「時間差」があるからなのだ。


歳三たちが江戸を出立した文久3年2月8日は、新暦に換算すると1863年3月26日、京都に着いた2月23日は4月10日に相当するという(註1)。
したがって、豊玉発句集の表紙にも「春」という文字が書かれているように、旧暦2月は体感する季節は十分に「春」なのである。


また、旧暦の大きな特徴として「閏月(うるうづき)」がある。それは月の運行で計算した1年354日と太陽の運行で計算した1年365日にとの間に11日もズレが生じるため、約3年に1度1ヶ月を余分に挿入してそのズレを解消しようというものである。それゆえ暦の計算も複雑で、閏月の入れ方を改良した暦が何通りも考案されていた。


歳三の時代に用いられていたのは「天保暦」というものだったが、これが旧暦最後の暦となった。明治維新を経て太陽暦への改暦(註2)が行われ、明治5年(1872)12月3日を明治6年(1873)1月1日とすることになり、現在に至っている。


ついでながら「ナントカの節句」と呼ばれている日付も旧暦で使われていたものをそのまま新暦に持ってきたので、昔よりも1ヶ月程先行した季節にそれらは巡って来る。そのため桃の節句に桃は咲かず、鯉のぼりは雨に乗れず、七夕はきまって雨が降り、重陽なのに菊が咲かない、といった現実がある。


したがって現在でも「月遅れ」と称して、旧暦に近い日程で節句やお盆の行事を行うこともある。仙台の七夕などが良い例である。
そちらのほうがむしろ節句本来の季節感をつたえていくのにふさわしいのかもしれない。


       
・(註1
新旧暦換算
が出来るサイト
 こよみのページ


・(註2
改暦に至った歴史の本音
明治5年に実施された改暦は、その発表から実施までわずか23日という笑っちゃうほどの突然さと強引さで行われた。


明治新政府が、欧米先進国から「文明国」であると認識してもらうために「太陽暦」への移行を急いだというのが歴史の建前だが、実は裏の事情もあったらしい。


役人の給料が年俸から月給に切り替わったのが明治4年だった。そのまま旧暦でいけば明治6年には「閏月」があって月給を13回払わねばならなかった。ところが政府の財政は火の車。


そんなとき太陽暦にすれば、明治5年の12月と明治6年の閏月の2ヵ月分の給料を払わなくてよくなることを発見。
そこで太陽暦への改暦を急げ!ということになったとか…


歴史の本音とは,、案外そういう「セコイ」ところにもあるのだろう。

                 
参考文献
柏書房
「現代こよみ読み解き事典」
   

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