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■芹沢鴨・本庄宿焚火騒動


参加することで過去の罪が赦されるという恩典を受けられた浪士隊には、色んな「脛に傷を持つ」輩も競うように集っていた。
常陸芹沢村の郷士で、水戸天狗党で幹部クラスの地位にいたこともある「芹沢鴨(せりざわ・かも)」もそのひとりだった。


彼は「尽忠報国の士芹沢鴨」と彫った鉄扇を手に乱暴狼藉を繰り返していたことで有名だった。
浪士隊にあっても「取締付」というリーダー格の中に早速名前を連ねているので、かなりの「親分肌」だったのだろう。


試衛館の面々は、いずれも「平隊士」の扱いだった。「平」はおそらくいろんな「雑用係」を交替でやっていただろう。
近藤勇も取締付の池田徳太郎のアシスタントで、本隊よりも一足先に宿場に行き、その日の宿の手配やらメンバーの部屋割りやらといった、旅行添乗員みたいな役目をすることになっていた。


江戸を出立して三日目、武州の北のはずれ本庄の宿でその事件は起きた。
宿舎の割り振りをしていた近藤勇が、よりによって芹沢鴨の宿を取ることを忘れるという失敗をやってしまったのだ。
すっかり機嫌を損ねた鴨は「野宿をするから暖をとる!」と宿場の往来で大焚火をはじめてしまった。
舞い上がる火の粉でいつ火事になるやもしれず、宿場は大騒ぎになった。


近藤勇が平身低頭して詫びても、なかなか鴨の怒りはおさまらず、なんとかなだめて宿に収容させるまで相当苦労があったようだ。
その一部始終を歯ぎしりしながら見ていた土方歳三たち試衛館一派が、芹沢一派に対して報復の念を抱くようになっても何の不思議もない。
それでも、京都では壬生の八木邸に同宿となった芹沢・近藤グループが新選組の母体となる「壬生浪士組」を作る事になるのだから、運命とはわからないものである。


この「焚火」のエピソードは新選組を描いた小説やドラマや映画でも決まって取り上げられ、芹沢グループの無頼漢振りと近藤勇等試衛館組との対比が際立つように描かれることが多い。


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