■「横川」は「与川」と書かれる場合もある。
野尻宿と三留野宿の間には、木曽川沿いの難所を避けた「与川道」という迂回路があり、この土地の郷士であった与川氏の菩提寺「古典庵」の名を持つ小高い丘がある。
そこでは現在でも秋の名月鑑賞会が地元の人々によって開かれているという。
さむしろに衣かたしきぬばたまの
さ夜ふけ方の月を見るかも
これは古典庵跡に立つ良寛の歌碑であるが、歳三の場合は良寛とは趣の違う月を見ている。
山から流れ落ちてくる水の上にさざ波が立って映っていた月影を散らしてしまった…
歳三たちが木曽を実際に歩いたのは浅い春なのだから、この歌に詠まれているのは、歳三の心に宿った白い月だ。その光を、絶えず揺らしていたのは、「時代」という流れだったのかもしれない。
彼はその流れに身を投じることになった。
もしも幕末でなかったら、ちょっと女好きだが歌好きな粋な農民として穏やかな一生を歳三は送っただろうが、歴史は彼を「旧幕府軍最後のサムライ、新選組副長・土方歳三」として記憶している。
ちなみに彼が生まれたのは天保6年(1835)年5月5日、亡くなったのは明治2年(1869)年5月11日。いずれも5月。34年と6日の鮮やかな生涯だった。(了)
(2006 5/4)
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