玉川で鮎を釣ってきたけれど、彼岸だったよ〜しまったな。
先祖の供養をする彼岸には、魚や鳥を獲ることがタブーだったのに、たぶん失念していたのだろう。
「や」と「かな」と二つも切れ字を使ってしまうほど、焦ってしまったようだ。
「玉川に鮎つり来るも彼岸かな」 なら少しは読みやすかったかもしれないなどと、また余計な世話を焼いてみる。
江戸に奉公に出されてもなじめず、日野に戻っていた歳三が、「石田散薬」なる家伝の打ち身薬の原料になる草を集めていたのも、やはり玉川の水辺だった。
その薬を行商しながら近藤勇の天然理心流の道場に通って剣の腕を磨いた。
鮎を釣り、草を集め、やがて大きな夢を育てていった歳三の姿を映した玉川の水鏡に、思いが寄せられていく。
(2006 3.18)
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