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「王城の護衛者」松平容保  第一回 松平容保の生まれた「家」


松平容保
(まつだいら かたもり) 
天保6(1835)年〜明治26(1893・享年59)

松平容保(幼名 _之允 けいのすけ)は 天保6年12月29日、美濃高須藩(尾張藩の分家筋にあたる家門)第十代当主松平義建の六男として生まれた。

この天保6年という年には坂本龍馬土方歳三伊東甲子太郎といった人物も誕生している。それぞれが全く違った立場から幕末の歴史に大きな影響を与えることになる人物であり、実に因縁の深い年である。
容保以外の3人は、幕末史に一瞬の光芒を放ったのちにいずれも30代前半の若さで命を落としている。

徳川幕府の時代は大名の妻子は江戸に住まうことになっていたので、当然容保が生まれたのも高須藩の江戸藩邸(現在の新宿区にあった)だった。
容保は12歳になると第8代会津藩主松平容敬の養嗣子(ようしし・後継ぎとなる養子)になった。

容保の実父である松平義建は、特に目立った藩主ではなかったが、なにしろ子沢山で、その子息たちはあちこちの徳川家・松平家へ養子として入り、幕末の藩主として活躍したのだった。


<容保の兄弟…高須藩松平家出身の幕末藩主たち>


兄 14代尾張藩主徳川慶勝

兄 7代石見浜田藩主松平武成

兄 11代美濃高須藩主松平義比→15代尾張藩主徳川茂徳→10代一橋家当主一橋茂栄

弟 13代伊勢桑名藩主松平定敬

弟 13代美濃高須藩主松平義勇

★印の兄弟に容保を加えた四人は「高須四兄弟」と呼ばれ、幕末維新の歴史に名前を残した。


 

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