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江戸時代の武士の装束2  下級武士の装束

御家人・足軽・中間・浪人

御家人
継裃
■幕府に直接仕えている家来のことを直参(じきさん)という。
そのなかで、将軍に「御目通りできる」=(将軍を生で「見る」ことができるといえばわかりやすいかも)ことのできる身分を御目見以上(おめみえいじょう)といい、できない身分を御目見以下(おめみえいか)という。


直参のうち御目見以上の武士を「旗本」、御目見以下を「御家人」と呼ぶ。
「与力」などは御家人の中でも身分の高いものである。


ついでながら、その他の大名家に仕えている家来は陪臣(ばいしん)という。すなわち、将軍家に仕えている大名のそのまた家来であるという意味。


御家人の礼装は素襖(すおう・高級武士ページ参照)で、略礼装は肩衣半袴である。
普段の仕事の際には継裃(つぎかみしも)といって、肩衣と袴が別の布でできているものを着用していた。

町同心
黒紋付羽織に着流し
■町奉行所の同心といえば、黒紋付の羽織に黄八丈(黄色っぽい地の格子柄)の着流しスタイルなどが時代劇でおなじみである。


「八丁堀の旦那」といわれるのは、彼等が八丁堀にある「組屋敷」に住んでいたからである。


町同心は「粋」な身なりをしていたので「もてた」らしい。


町同心以外にも伊賀同心・甲賀同心・八王子千人同心などと呼ばれた「同心」たちが数多く存在していた。

鋏箱持ち
尻はしょり
■最下級の武士といえば「足軽」であるが、江戸時代ではいくさに出ることも無いので、もっぱら上級武士の下働きをしていた。


足軽の更に下の身分には、中間(ちゅうげん)、小者(こもの)、陸尺(りくしゃく)といった雑用をおこなう奉公人がいた。


着物を尻はしょりして素足に草鞋(わらじ)ばきといった姿で、主人の供をして槍を持ったり、道具箱を持ったりした。

浪人
着流し
■浪人は主家(つかえる家)をもたない、いわば失業中のおさむらいである。


袴をつけずに着物だけという「着流し」に、月代(さかやき)を剃らずにのばし、大刀の一本差といった格好がよく見られたようだ。


これに深編笠(ふかあみがさ)をかぶれば浪人ファッションも完璧。