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江戸時代の武士の装束1  高級武士 

江戸時代は身分や立場によって服装が厳しく定められていた時代である。
「大名」であってもその「格」に応じて着るべき服装や色までも細かい規定があった。

大名・旗本の装束
束帯衣冠
束帯       衣冠
■衣冠・束帯(いかん・そくたい)


将軍宣下や朝廷行事、祭事などの重要儀式で将軍をはじめ各大名が着用した大礼服(最も格の高い礼服)。よく耳にしがちではあるが、「衣冠束帯」という装束は存在しない。


左図左側が「束帯」で、その略装にあたるのが右側の「衣冠」。
束帯は宮中の正装で、武官の場合は刀を帯び、「平緒(ひらお)」という細くて平べったい布を前に垂らすことになっていたので、武士である将軍以下大名たちもそのような着方をしていた。
長直垂・将軍長直垂・嗣子
長直垂
■長直垂(ながひたたれ)


直垂は鎌倉時代以降の武士の礼服。
江戸時代は、将軍をはじめ大名(四位以上)の殿中(江戸城内)の礼装とされた。
将軍は紫色、嗣子(あととり)は緋色(真っ赤)を着用する、他の者はこれらの色は用いてはならなかった。また、浅黄は秀忠が、萠黄は家光が用いた色なのでこれも用いなかった。
袖や胸に絹のひもの先をほぐして菊の花のようにした「菊綴(きくとじ)」がついている。
刀は短い小さ刀(ちいさがたな)。


殿中の礼服に特徴的なのが、裾が長く後ろに引きずる「長袴」である。
余程神経を使って歩かないと間違いなく転びそうな代物だ。
大紋
大紋
■大紋(だいもん)


直垂の「菊綴」の代わりに家紋が大きく染め抜かれた五位の大名の礼服。
礼服に家紋をつけるようになったのは、この大紋が元になっているといわれる。


「忠臣蔵」で有名な「松の廊下」の場面で浅野内匠頭が着ていたのも「大紋」である。
前日、吉良から「明日の礼服は長裃(ながかみしも)」と嘘を教えられていたが、浅野家の家臣片岡源五右衛門が念のためにと大紋も持参していたため、浅野内匠頭はあやうく恥をかかずに済んだというエピソードがよくドラマにもなる。


殿中の礼装には「小さ刀(ちいさがたな)」を持つことになっていた。浅野内匠頭はこの小さ刀で吉良に切り付けてしまうのだが、致命傷を与えることはできなかった。
素襖
素襖
■素襖(すおう)


大紋を簡略化した形の装束で、六位以下の武士の礼装。
胸紐や菊綴に革紐が用いられているので、革緒の直垂ともいう。
直垂や大紋の袴の腰紐は白色であるが、素襖は共布(ともぎれ:同じ布)。


今日では能や狂言の衣装として見ることが出来る。
直衣
直衣
■直衣(のうし)


平安時代は貴族の普段着であった。
江戸時代にあっては将軍家の通常礼服ともなった。
将軍は正月の三日、七日、十一日、十五日に着用していた。
狩衣
狩衣
■狩衣(かりぎぬ)・布衣(ほうい)


狩衣は従四位下の侍従の身分を持つ大名の礼服。
布衣は旗本の大礼装や礼装として用いられた。


元々は貴族が狩りなどに着用したもので、袖が後ろみごろにわずかにとじ付けられているだけで体は動かしやすかっただろう。また、袖口にくくりの緒がついている。
文様を織り出した裏打ちされたものを狩衣、無地で裏地のないものを布衣(ほうい)として区別した。


今日では神主の装束に狩衣を見ることが出来る。
長裃肩衣半袴
■長裃(ながかみしも)・肩衣半袴(かたぎぬはんはかま)


長裃は将軍家から御目見え以下の御家人にまで広く用いられた通常礼服、肩衣半袴は同じく略礼服や通常服に用いられており、江戸時代の武士の姿としてまず思い浮かべるものだ。


直垂→大紋→素襖という流れで武士の礼装は簡略化されてきたが、それぞれ身分に応じた儀式用の装束として定着した。したがって普段の「正装」には、小袖を着た上に袖のない「肩衣(かたぎぬ)」を重ね、袴をはいた。この「肩衣」と「袴」が上下セットで「裃(かみしも)」というわけである。


裃の下に着る小袖(いわゆる着物)は、腰の辺りに縞模様を織り出した熨斗目(のしめ)というもの。
時代劇などを見ていると、裃の下に派手な縞柄を見つけることができる。


肩衣は安土桃山時代が起源だという。江戸時代には鯨のひげを入れて支えねばならぬほど、肩の部分が発達した。胸の左右と背中に紋をつける。
江戸末期には紋付羽織袴のほうが一般的になり廃れていった。


今日では花婿の衣装や、歌舞伎の口上や、豆まきをする年男など一部の芸能や祭りや行事の装束の中に残っている。