平安時代に定められた「延喜式」により、国そのものに「大国」「上国」「中国」「小国(または下国)」というランク付けが行われた。
そのランク付けの一番の基準は、国の生産力とか政治上軍事上の重要さであったようだ。
生産力の高い国からは多くの租税収入が見込まれるので、そのような国に派遣されることは役人自身にとっても役得が多く「おいしい」ことだったらしい。
国の領域と名称、ランク、国守の官位相当の図(クリックで別窓に拡大表示されます)。
特に重要とされた上総、常陸、上野の三つの国には親王が「太守」として長官を務めることになっていた。いずれも関東地方というのが興味深いが、蝦夷地域へのにらみをきかせるためにも非常に重要な拠点であるからだろう。
律令制度が完全に崩壊した後も、統治の実態は様々に変わりつつも、「国の領域と名称」は
明治維新で廃藩置県が実施されるまで存続した。
特に国の「ランク付け」は官位とともに肩書きのランク付けに利用されるなど、武家社会の中にあってもとことん使いまわされた。
現在でも地名その他の伝統的な名称の中に、旧国名は数多く残っている。
信州とか武州などという言葉に理屈を抜きにした懐かしさを覚える遺伝子が、日本人にはこれらも伝わっていくことだろう。
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